続・暮れゆく日々の足跡

<   2015年 05月 ( 18 )   > この月の画像一覧

生きる意味

「生きる意味は、自分で見つけよ」
というアドバイスは、
なぜ生きるかを真剣に考えている人には、無力です。

たしかに
スポーツや事業などに熱中できれば、
「これが私の生きる意味だ」
と充実感は味わえます。
それはただし、
死の影を忘れていられる間だけのことです。

「あなたはやがて死ぬんだよ」
というささやきが聞こえてくると、
好きなことをして、望んだものを手中に収めても、
根深い悩みが頭をもたげます。

「夢を実現しても、むなしかった」
「なぜ幸福に、悲しみが混じるのか」
「短い燃焼と、あわただしい消滅が、全体験ではなかったか?」
「心から満足できる目的はないのか」
こんな疑問を抱く人が、
人生の目的は「自分で見つけよ」
といわれても、突き放されるだけでしょう。

「生きる目的は人それぞれ」
という主張は、
死の問題を無視しているので、
人生の悩みを根本的に解決する力はありません。

死を正視して苦悩の根元を知り、
それを断ち切ってはじめて、
「なんと生きるとは素晴らしいことなのか……」
「生きるとは、無上の幸せになるためであった……」
と、
人生の目的が鮮明に知らされるのです。








.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-31 08:36 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

はだかの不安

過剰なまでの「健康ブーム」です。

どんな食生活が病気にならないか、
遺伝子組み換え食品は安全か、
環境ホルモンの汚染は大丈夫か、
テレビでも雑誌でもさかんに取り上げられています。

風邪だと言われても驚きませんが、
「ガンだ」「エイズだ」となると大騒ぎです。
それらは死に至るからでしょう。

人間は一瞬たりとも、
死そのものの「はだかの不安」には耐えられません。

死と真っ正面に向きあうのは、あまりにも恐ろしいので、
病気や環境問題と対決しているのでしょう。

核戦争が怖い、
地震が恐ろしい、
不況が心配……というのも、
その根底に「死」があるからではないでしょうか。

私たちは、
「死神の掌中で弄ばれる道化」ともいわれます。

どれだけ逃れようともがいても、
死に向かってひた走っているのです。

しかもその壁の向こうはどうなっているのか、まるで知りません。

未来がハッキリしないほどの、不安なことがあるでしょうか。

死をありのまま見つめることは、
いたずらに暗く沈むことではなく、
生の瞬間を、
日輪よりも明るくする第一歩といえましょう。





.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-29 17:13 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

死は突然にしかやって来ない

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」

……………


死は、
突然にしかやって来ないといってもよい。

いつ来ても、
その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。

生きることに安心しきっている心には、
死に対する用意が、なにもできていないからである。

死は、
来るべからざる時にでも、やってくる。

来るべからざる場所にも、平気でやってくる。

ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、
土足のままで、ズカズカと乗り込んでくる無法者のようなものである。

それでは、あまりムチャである。
しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。

人間の力では、
どう止めることも、動かすこともできない怪物である。








.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-29 08:26 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

ナスの苗を植えました

c0353163_18102935.jpg

夕方、ナスの苗を植えてみました
自分で買った苗を
これまた自分で植えるのも初めてです
ナスは私1人で植えてみました

中長茄子ってナスなのですが、
中長茄子って?
どんなナスが出来るのかな?
無事に育ちますようにemoticon-0134-bear.gif
c0353163_18103030.jpg

上の写真はトマトです
こちらはご近所さんからもらった苗
トマトは父と姉と三人で植えました
一週間くらい前に植えて
一本はダメだったけと、他は
順調に育ってるみたい
c0353163_18103080.jpg

してこちらが
全体写真

トマトとナス

あとは
姉が春菊の種を植えたのと

さっき
メロンの種を姉と二人で植えてみました
メロンは種からなんて出来ないだろなぁ

今年はもう
父は畑出来ないので
基本、姉と私でやる感じです
でも、父は肥料とかやってくれて
世話をしてくれてます





.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-23 17:53 | テキトー畑からの便り

人生の目的には卒業がある

親鸞聖人のみ教えには、卒業があります!

「死ぬまで求道」と思っている人は
本当の親鸞聖人のみ教えがまったく分かっていません。

浄土真宗の一枚看板は、
『平生業成』(へいぜいごうじょう) です。

「人間に生まれた目的を、平生(生きている時) に完成できる」
ということです。

「死ぬまで求道」では看板に偽りありになります。

『現生不退』(げんしょうふたい)
これも聖人のお言葉です。

現在ただ今、絶対の幸福になれる。
「永遠不滅の幸福になれる」
との仰せです。

政治、経済、芸術、スポーツ……
人間の営みのすべては、趣味や生きがいです。

生きがいや趣味には、完成も卒業もないから、キリがありません。

ですが、人生の目的は違います。
完成があるのです。

「このために生まれたのか」
と歓喜する時があるのです。
これ一つ達成すれば、いつ死んでも満足だといえるものなのです。

親鸞聖人はその体験を告白なされ、
私たちに教え徹してゆかれたのです。

親鸞聖人によってのみ、明らかにされた、仏教の真髄、卒業のある信心。
人間に生まれた真の喜びは、まさに
人生究極の目的が、平生に完成した時にハッキリ知らされます。









.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-21 09:02 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

真実の慈悲

昔、明遍(みょうへん)という真言宗の僧がいた。
法然上人の『選択本願念仏集』を読み、
成程(なるほど)、法然の言うことも尊い所があるが、
一切の聖道仏教を捨てて、阿弥陀仏の本願に帰せよとは何事か。
聖道仏教だって、釈尊の説かれた法ではないか。
それを、 「聖道仏教では、千人のうち一人も助からない。
阿弥陀仏の本願のみが、われらの助かる道なのだ」 とは、余りにも偏執(へんしゅう)であり、排他的(はいたてき)ではないか。
法然は排他的で、喧嘩腰で、頑固で、量見(りょうけん)のせまい坊主だ、とののしっていた。

ところが、ある晩、明遍は夢をみた。
天王寺の西大門に憐(あわ)れな病人が沢山集まっていた。
その中に実に懐かしい面(まな)ざしをした墨染(すみぞめ)の衣と袈裟(けさ)をつけた一人の聖者が、鉄鉢(てつばち)の中に重湯(おもゆ)を入れて、小さな貝でそれをすくいながら、病人の口に一人づつ入れてやっている。
親にも兄弟にも妻子にも、見捨てられた憐(あわ)れな癩病(らいびょう)患者を、たった一人の僧が看護しながら、静かに病人を拝んでいる。
そしてその看護のしぶりが、実に親切であり懇切(こんせつ)である。
夢中で明遍は何という貴(とうと)い人だろう。
末法にも、こうした人があったのか、と傍(そば)の人に尋ねた。
「あの方こそ、吉水の法然上人である」という声を聞いて、びっくりしたときに夢さめたという。

法然上人は高慢(こうまん)で、排他的だと思っていたのは、大変間違いであった。
あんな病人に御飯を喰べよと言ったって無理なのだ。
あの病状では、どんな滋養になるものが、どんなに沢山あっても何にもならない、喰べられるものは一つもない。
彼らの糧(かて)は重湯より外にないのだ。
重湯こそ、あの病人が生命をつなぐ唯一の糧であることが判った。

一如法界(いちにょほっかい)を開けば、八万の法蔵はあれども、我ら凡夫には無きに等しい高嶺(たかね)の花でしかない。
末法の我々の救われる道は、弥陀の本願以外にはないことを知らされ、深く懺悔して法然上人の弟子になっている。

親鸞聖人の直々の師匠は、法然上人です。
親鸞聖人は二十九歳の御時、法然上人に巡り合われ、阿弥陀仏の本願によって救われたのです。
それから九十歳でお亡くなりになるまで、阿弥陀仏の本願ひとつを教えてゆかれたのが親鸞聖人です。

本当の親鸞聖人の教えを伝える方を排他的だと非難する声があります。
仏教以外の一切の宗教は邪教であり、
仏教でも、弥陀の本願以外では絶対に助からないと、
徹底的に破邪顕正するからでしょう。
しかし、邪悪を破ることは、
真実を知り、真実を求め、真実を獲得(ぎゃくとく)した者の聖なる義務であり、
真(まこと)の慈悲なのです。

生死は一大事です。
戯事(あそびごと)ではないのです。
他人の顔色を窺(うかが)って場面を糊塗(こと)すべきではないのです。









.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-20 11:03 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

真実と方便

聖道仏教(禅宗、天台宗、真言宗など) の本質は、自力です。
廃悪修善によって、救われようとする自力の仏教です。

浄土仏教(浄土真宗、浄土宗など) では、
阿弥陀仏の願力不思議によらなければ、
後生の一大事の解決はできないと教え、他力の仏教といわれます。

後生の一大事を引き起こす無明(後生暗い心) は、
阿弥陀仏しか破れないから、
弥陀一仏に向け、
と釈尊は教えられました。

「一向専念無量寿仏」が、
その釈尊のご金言であります。

※無量寿仏とは阿弥陀仏のことです。

浄土仏教は真実、
聖道仏教は方便です。

では、なぜ釈尊は、
聖道仏教を説かれたのか

真実のカケラも持ち合わせていない人間を、
真実に導くには絶対に方便が必要だからです。

「後生の一大事の解決には無明を破らなければならない」
と言っても、自惚れ強い我々は、
その無明が分からない。
阿弥陀仏のお力によらねば、
どんな知恵ある人でも知らされないのが、無明なのです。

親鸞聖人は比叡山で二十年間、
真剣に聖道仏教(廃悪修善) を励まれ、
真実微塵もない己の姿に驚かれました。
「頭髪に火が付いたのを揉み消す真剣さで廃悪修善を行ったが、
真実の善はできなかった。
後生の解決はできない」
と悲泣なされています。

方便はウソということではありません。
真実に導くために必要なものを方便というのです。

無明を知らせるには、
罪悪を見つめて進まねばならない。
煩悩が邪魔になり、それに苦しむのです。

真実が分かってはじめて、方便が分かる。
真実が分からぬ者は、
方便も方便と分かりません。

二千六百年前、
お釈迦さまが開顕なされた阿弥陀仏の本願を、
親鸞聖人へと伝えてくだされた善知識が七人おられました。
その最初に数えられるかたが、龍樹菩薩です。

龍樹菩薩は、
自力難行の末、初歓喜地までさとりましたが、
未だ魂の解決がならず、
ついに聖道門自力難行の仏教を捨てて、
浄土門他力易行の仏教に帰依せられました。

龍樹菩薩は、
難行道は、立派な意志の強い丈夫志幹の者の行く道だろうが、
自分のような獰弱怯劣な人間は、易行道でなければ到底助からなかったのだと告白されています。

獰は悪、弱はよわい、怯は卑怯もの、劣は劣ったものということですから、
龍樹菩薩は自らを
悪い心の弱い卑怯な劣等な人間だと懺悔して、
このような者は浄土門他力易行道でなければ絶対に助からないのだと述懐しておられるのです。









.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-18 14:05 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

他力の「他」

多くの人は「他力」と聞くと、
「他人のふんどしで相撲をとる」ことのように考えたり、
「人の提灯で明かりを取る」ことのように思っています。
力のない人間が、力のある人に助けを求める、依存心だと思っているのでしょう。
その証には、
新聞や週刊誌などにも堂々と、
「他力本願ではだめだ、自力更生でなければならぬ」と
書きたてています。
また、そんな記事を読んでも、
何の不審も疑問も感じる人のいないのも、その証拠でしょう。

では「他力」とは、
どんな意味なのかといいますと、
親鸞聖人が『教行信証』に明言されていますように、
阿弥陀仏の本願力を他力というのです。

他力の語源は仏教なのですから、
仏教の意味に従わなければなりません。

他力の「他」は
阿弥陀仏のことに限るのです。

「阿弥陀仏の本願力」とは、
私たちの心の闇(苦悩の元凶) を打ち破って、
大安心・大満足の心にするお力です。
これを「他力」というのです。

他力とは、あくまでも私たちを、
未来永劫、大安心・大満足の絶対の幸福にしてくだされるお力のみをいうのだということを、
よくよく承知してください。

科学や医学や学問がどんなに進歩しても、
私たちの苦悩はなくなりません。
現実を直視すればお分かりになるでしょう。

すべての人は、
他力本願によらなければ
真の幸福に絶対なれないのですから、
一日も早く弥陀の大願業力に救われて、
他力の尊さを十分に味わって頂きたいと思います。

※弥陀の大願業力=阿弥陀仏の、我々を絶対の幸福にする絶大なお力









.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-17 13:11 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

「死にたい」と「生きたい」は同じ

「死ぬのもその人の権利だ」という主張を

ネット上などでも散見します。

死にたいという人を死なせてやってもいいじゃないか

という主張です。



「絶対死んではだめだ」という根拠のない、

押しつけ説教への反発から

そう言いたくなる気持ちは

過去の自分のことを思い出しても共感できるのですが、

この主張が蔓延するのを私は危惧してます。



死にたいという人の中に、

本心は(本人が気づいていなくても)

「生きたい」という人があると思うからです。



『いのちの電話』を受ける相談員によると

自殺者の示す、自殺の前兆のようなサインは、

「生きたい」という心から発せられる助けを求める信号である

といいます。



「今から死にます」という予告は

「これから死のうとしているのですよ、何とか助けてください」

と言っているのに等しい、とのことです。



苦しくて死を選んでしまった人も

生きようと努力してきたのです。



360度水平線の海の真ん中に放り出されて、

途方もない気持ちで泳ぐものの

島影一つ見えず、救助の船が通るわけでもなく、

やがて泳ぐ腕の力もなくなり、

「もう泳ぎたくない」

となっているような状況が

「死にたい」です。



助かりたい、と一縷の望みをかけて

水平線に向かって泳いでいたのですが、

どこまでも陸地が見えない、

もうそんなものはないだろう、

もっと泳げばあるかもしれないと励まされても

波はつらいし、腕に力も入らない。

こういう状況で溺れかかっているのが

「死にたい」だからです。



「死にたい」希望をかなえさせてやろう、ではなく、

「生きてきてよかった」と陸地を指し示すことこそ

大事なのではないでしょうか。



親に好かれたいと思ったのも

学校の勉強を頑張ったのも

起業して一旗あげようと思ったのも

幸せに生きるためだったのですが、

結局幸せになれなかった。

気付くと「死にたい」とつぶやくようになった、

ということでないでしょうか。



読者の方からメールが来ました。

30代の女性のようです。

「今以上に人生がよくなるとは思えないので、

 40になったら死ぬ予定です。

 もし生まれ変われるなら

 今度は幸せな人生をおくりたいな」



この先行き暗い絶望感にあって

もしかしたら明るい未来がまだあるのかもしれない、

と少しでもそんな心が芽生えるような、

希望を与える教えがあることを伝えていきたいと

思いを新たにいたしました。


以上、
親鸞聖人の教えを学べる講座を開催されている方から届いたメールです。









.
[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-12 17:26 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)

お経は生きている人のために説かれたもの

葬式や法事の読経が、亡くなった人のためになるという信心は、
世間の常識のようになっています。

しかし、
そのような迷信を徹底的に打破なされたのが、
仏教を説かれた釈尊であったのです。

また、親鸞聖人は、
その釈尊の教えを、最も、厳しく教誡された方でありました。

読経や儀式で死者が救われるという信仰は、
もともと仏教にはなかったのです。

それどころか、
そんな迷信を打ち破って、生きている時に、
絶対の幸福に導くのが仏教の目的なのです。

お経は、
苦しみ悩んでいる人間を幸福にするために、
釈尊が説かれた教えを弟子たちが、
後世の私たちのために書き遺(のこ)したものです。
だから、当然ながら死人に説かれたものはありません。

お経はすべて、
生きている人を相手に説かれたものです。

死んでしまえば、
生きている者が、どんなに騒いでも、どうすることもできないのです。

お経は、
あくまでも、現在、苦しみ悩める人々を
真実の幸福に導くために、
書き遺(のこ)されたものであることを知らなければなりません。








.



[PR]
by sos-wind2 | 2015-05-12 10:09 | なぜ生きる(私の白道) | Comments(0)



私の人生にはいつも猫がいました。 1番たくさんいた時は11匹。 ホントに楽しい日々でした。 最後の子猫(私の目の前で生まれた7匹のきょうだい)の チィちゃんが亡くなって、私の猫暮らしは 最終章に入りました。 残りの日々をロロと共に生きています。
メモリアル・愛しき日々
以前の記事
カテゴリ
タグ
画像一覧
お気に入りブログ
記事ランキング
ブログジャンル
最新の記事
シュガーラスクΨ^ω^*)
at 2017-03-23 14:05
信州で迎える4回目の春
at 2017-03-22 15:08
pお手手q∀・*)のコレクシ..
at 2017-03-14 16:18
マジョリカ の急須
at 2017-03-13 13:10
|ョ・ω・`)?呼んだ?
at 2017-03-12 08:46
最新のコメント
> modefight..
by sos-wind2 at 14:28
> pinochiko..
by sos-wind2 at 14:20
こんばんは ロロちゃん..
by modefight at 01:35
ロロちゃんと一緒に迎える..
by pinochiko at 20:12
> tabineko-h..
by sos-wind2 at 16:03
こんばんは☆ ほん..
by tabineko-hanzou at 20:19
> akiwan2nya..
by sos-wind2 at 06:43
とてもとても、愛にあふれ..
by akiwan2nyan2 at 18:32
> modefightさ..
by sos-wind2 at 10:59
> pinochikoさ..
by sos-wind2 at 10:54
最新のトラックバック
ライフログ
検索
人気ジャンル
外部リンク